19日深夜放送の「じっくり聞いタロウ 〜スター近況(秘)報告〜」(テレビ東京系)で、元お笑いコンビのドロンズ・大島直也が「電波少年」出演後の活動について語った。
番組では、バラエティー番組「進め! 電波少年」(日本テレビ系)で1996年から1997年まで南北アメリカ大陸縦断ヒッチハイクに挑戦していた大島が登場した。これは猿岩石のユーラシア大陸ヒッチハイク企画の第2弾として実施された人気企画である。
当時の大島は旅行中にピストルで発砲されるなど危険に晒されたにも関わらずギャラはわずか10万円で、帰国したときには貯金が20万円ほどしか残っていなかったらしい。その後、2003年にドロンズを解散して役者の道に進むも、花を咲かせず極貧生活を強いられることに。
そんな大島の転機になったのが、恵比寿に出店した「ちりとり鍋」だ。大阪で出会った鉄板焼きをアレンジしたそうで、これが「アメトーーク」(テレビ朝日系)、「王様のブランチ」(TBS系)の出演を期に大繁盛。ピーク時には10坪29席の店規模で月商1200万円をたたき出した。
しかし、その店の開店資金を援助した日銀初代総裁の玄孫でもある元妻と2年ほど前に離婚し、同時に店も手放したということだ。そして現在はマルチタレントとして活動している。
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