(コミュニケーション・アナリスト 上野 陽子)

希望の党の代表だった小池百合子氏。今回の衆院選では「排除いたします」という発言が敗因になったといわれる。こうしたシンプルで短い言葉はSNSで広がりやすい。そしてSNSには「そんなつもりじゃなかった」という形で、言葉が一人歩きしてしまうリスクがある――。

写真=ロイター/アフロ)

■本物とフェイク、ひと言の意味を読む

SNSにはさまざまな情報があふれるが、どこまで信頼できるのか、本来の意味はなんだったのか、判断に迷うことはないだろうか。

スタンフォード大学の研究者らが、全米12州中・高・大学の合計7804人の学生を対象に、オンラインにあふれる情報をどのように受け取っているかを調査した。その結果、高校生の75%は、フェイスブックなどSNSでシェアされた報道のニュースと、ニュースサイトを模倣したフェイクニュースを見分けることができなかったという。さらに30%は「フェイクニュースのアカウントのほうが信用できる印象だった」としている。

その情報が本当に信用できるのか、あるいは事実だとしても、あるひと言だけが切り出されて文脈を失い、本来の意味を歪曲されているのか……。その見分けは、難しいものだ。

そういえば昨年8月15日の広島の原爆の日に、ディズニーのアカウントが「なんでもない日おめでとう」とツイートをして、物議をかもしたことがあった。

もちろんニュースなどではなく、ただ、「不思議の国アリス」のお茶会のシーンから“364日お誕生日ではない日を祝う”というセリフを抜き出したもの。奇妙なストーリーが魅力のアリスの世界では、ちょっとした名場面と名台詞のひとつだ。

ところが、広島の報道が多い「8月15日」という日にツイートされた、物語の文脈をなくした「なんでもない日おめでとう」のフレーズは、多くの人に不謹慎に映ってしまった。ツイートはあくまでもアリスの世界の話だったとしても、文脈を失ったフレーズに、読み手が自分の日常の中で文脈を見つけてあてはめたのだ。

言葉の意味とは、文脈があってはじめて成り立つもの。これは、SNSで切り取られたひと言が、読み手の自由な解釈のもと本人の意図をはずれ、別の意味に受け取られながら広まった例だった。

例えば、先日の総選挙で、希望の党の代表だった小池百合子さんが、旧民進党出身のリベラル派に対して「排除いたします」とした言葉では、文脈はどうだったのだろうか。

■小池さんの「排除」発言の文脈とは

メディアはこぞって「排除いたします」の場面を繰り返して放送し、あらゆる媒体の見出しにも「排除」の文字が躍った。この言葉が和を尊ぶ日本人には冷たく響き、選挙の行方に大きく影響を及ぼしたことは、本人も「慢心だった」と認めている。

さらにネットでは、「前原さんをだました?」の問いに、「ふふふ」と笑う映像がキュッと短く切り取られて拡散。風向きは一変し、国民の多くが小池さんにそっぽを向いた選挙戦となった。尺が長いテレビやスペースがある紙媒体では、若干でもその前後が出てくるだろう。だがネットの特にSNSではほんの数文字程度、映像も数秒だけ切り取られがちだ。そして、映像を切り取った側の意にそったテロップもつけられる。

そもそもの流れを見ると、この言葉を使ったのは前原さんからのようだ。該当する記者会見の場面は、次のようなやりとりだった――。

【横田】前原代表が昨日発言した「(希望の党に)公認申請をすれば、排除されない」ということについて小池知事・代表は、安保・改憲で一致する人のみを公認すると。前原代表をだましたのでしょうか。共謀して「リベラル派大量虐殺、公認拒否」とも言われているのですが。

【小池知事(=代表)】前原氏がどういう表現をされたか、承知をいたしておりませんけども、「排除されない」ということはございませんで排除いたします。取捨(選択)というか、取捨じゃないですね、絞らせていただきます。

それは、安全保障、そして憲法観といった根幹の部分で一致していることが政党としての、政党を構成する構成員としての必要最低限のことではないかと思っておりますので、おひとりおひとりこれまでのお考えであったり、そういったことも踏まえながら判断をしたいと思います。(現代ビジネス10月24日「『排除』発言を引き出した記者が見た『小池百合子の400日』」)

確かに「排除いたします」のくだりは冷たく響いたが、「それは、安全保障~」以降も見ていくと、少し印象は変わってくる。政党として所属議員の理念の一致は根幹であり、政治観が違えば選択枠から除くという趣旨だった。擁護するつもりはさらさらないが、本来の政党のあり方という意味では小池さんの言うとおりだろう。もちろん、前原さんとのやりとりに何があったかによっても、また受け取り方はまた変わるのだが。

では、言い方が違ったらどうだったのだろう。

■ゲーム的な要素を持つSNSのメリットとデメリット

例えば、同じ内容でも言い方を変えて「残念ながら、政策の違う方も全員受け入れるというわけにはまいりません」ならどうだっただろう。コメントは長く要点がぼやけるし、コンテンツとしてはおもしろくない。今回ほどの広がりはなかったかもしれない。

小池さんは短くまとめた“キャッチーなフレーズ”が得意だ。わかりやすく、どこか耳に残る言葉がマスコミにもSNSに好まれる。“都民ファースト”、選挙公約の“ダイバーシティ”、豊洲市場問題の“レガシー”なども記憶に新しい。こうした短くキャッチーな言葉は、SNSなど少ないスペース向けだ。

こうしたSNSでの拡散は、ゲーム的な要素もある。ポイントを集めるかのように「いいね!」を得やすい人気のあるコメントや言葉が好まれ、すでに「いいね」が多数ついた文章なら、大多数の意見として反感を買いにくいから、さらに安心して拡散しやすい。

特にSNSは、各人が個室にいながら大きな発言力を持つが、真実でありながらも情報の印象を大きく歪曲できる可能性だってある。さらに発言者個人の活動に見えつつ、力のある人や多数派の意見に迎合したり左右されたりしやすい性質から、集団的な側面も持つ。

うまく使えば大きな宣伝効果を生みながらも、今回のように発言の仕方ひとつで足元もすくわれやすい。希望の党が出したとされるネットでの発言規制もわからなくもない。

■記事と広告の区別もつかない学生たち

さて、先のスタンフォード大学の実験では、活動家グループのツイートには偏見が潜む可能性が高いことを理解しているのは、大学生ですら3分の1程度にすぎなかったという。さらには、中学生は記事がニュースなのか宣伝なのかの区別もつけられず、宣伝広告の意味すらも理解できていない生徒たちもいたようだ。

どこの情報なのか、その切り取られた部分が果たしてどんな文脈の中で本来はどんな意味であったのか。読み手として見極める力、メディアリテラシーをつけることは、ますます必要になっていくだろう。

そして、企業や政治家の発言を見ているうちはどこか対岸の火事にすぎないはずが、気軽な発信で“そんなつもりじゃなかったのに”は誰にも起こりうると、心しておきたいものだ。

【参考資料】
STANFORD HISTORY EDUCATION GROUP「EVALUATING INFORMATION: THE CORNERSTONE OF CIVIC ONLINE REASONING:EXECUTIVE SUMMARY」November 22, 2016
https://sheg.stanford.edu/upload/V3LessonPlans/Executive%20Summary%2011.21.16.pdf

(コミュニケーション・アナリスト 上野 陽子 写真=ロイター/アフロ)



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